相互電機のひとつの歴史を作った
マイカ素子の製作がついに、出来なくなりました。
予てより、そのギリギリの状況が続き、
冶工具のメンテナンスも専任と協力会社より
頑張って続けて参りましたが、
本人もその仕事が無くなったら、
それ以外の仕事はやらないと、
ずっといっており、それは最後まで変わりませんでした。
まさに、相互電機の職人だったと思っております。
職人ゆえに、当たり前のことを
普通にこなすことが、普通の人には困難なことが多く、
その魂を受け継ぐのは困難を極めますが、
話していた言葉、
皆の心に残っていると思います。
37年間、本当にありがとうございました。
そして大変お疲れ様でした。